大神神社を訪れた。
目的は三輪山に登ることだ。
大神神社の摂社である狭井神社で申し込み手続きを受け付けているという。
このことが奇異だった。
三輪山が大神神社の御神体ならば、大神神社そのものが管轄してもよさそうなのに。
祈祷殿の前を通る。
拝殿とは別に祈祷殿があるのが、よくわからない。
平成9年に出来たという。
祈祷殿の左(北)に「くすりの道」の入口があり、そこへ。
今向かっている狭井神社は「薬の神様」らしい。
で、「くすりの道」というのは薬業関係者が奉納した薬木・薬草が植えられている…という
だが、山に登ることに気が急いていて、よく見ていなかった。
長い参道。
気が急く。
狭井神社へ行く途中に、磐座社がある。
少彦名(スクナヒコナ)神を祭っている。
しかし、少彦名神はもともと大和の神ではなく、後から「習合」したものだ。
磐座は、本来は、旧石器・縄文時代以来の信仰の対象だったのだ。
岩を信仰の対象とする心性は理解できるものの、特別に大きいわけでも変わった形をしているわけでもない何の変哲もない岩だ。
どこにでもありそうな岩だが、この岩がどういう経緯で信仰の対象となったのか、興味深いところだ。
さらに進むと、茶屋があり(まだ開店していない)、狭井神社の鳥居がある。
そこをくぐると、左手に池がある。
鎮女池という。
そして、市杵嶋姫神社がある。
九州宗像の神だ(後、弁財天と習合)
池のほとりに、なぜか三島由紀夫の碑がある。
昭和41年(1966年)、三島由紀夫が古神道研究のため、大神神社を訪れ、社務所に三泊参籠した。
そして、三輪山に登拝した。
その時の感銘から色紙に「清明」と書いたという。
後日、三島は大神神社に次のような感慨を寄せた。大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神のおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。
又、お山に登るお許しも得まして、頂上の太古からの磐座をおろがみ、そのすぐ上は青空でありますから、神の御座の裳裾に触れるやうな感がありました。東京の日常はあまりに神から遠い生活でありますから、日本の最も古い神のおそばへ近寄ることは、一種の畏れなしには出来ぬと思ってをりましたが、畏れと共に、すがすがしい浄化を与へられましたことは、洵(まこと)にはかり知れぬ神のお恵みであったと思います。
山の辺の道、杉の舞、雅楽もそれぞれ忘れがたく、又、御神職が、日夜、清らかに真摯に神に仕へておいでになる御生活を目のあたりにしまして、感銘洵に深きものがございました。
三島氏の作品で大神神社のことを書いているのは「奔馬」らしい。
『豊穣の海』の第2部だ。
大昔、タイのアルンラーチャワラーラーム寺を訪れた後、それに舞台とした第3部「暁の寺」を読んだ覚えがあるが、第2部以降には進まなかった。(「暁の寺」すら、どんな内容か忘れた)
もう一度、三島の『豊穣の海』にチャレンジしていないといけない。
このように、旅から読書へ、読書から旅へ、とつながるところが楽しい。
(つづく)
(つづく)
0 件のコメント:
コメントを投稿