今年の後半は惨々だ。
8月にどえらい目に遭って、10月、11月と貧乏生活。
どん底を脱した今も、決して裕福とは言えない。
その最中、携帯電話を失くした。
その後、大文字山で帽子を失くした。
マジックテープの粘着が弱まっていたのである。
山の上で気がついたので、下山時に探せばいいと思っていた。
変なコースを歩いたが、ちゃんと覚えている。
ところが、どこにもない。
人が通らないところを通ったが、そこで落としたのなら、そのままその場所にあるはずだ。
登山道に出てから落として、そこで誰かが拾ったとしか考えられない。
他人が被っていた帽子を持って帰って嬉しいのか?
帽子はよく失くす。
今度のは比較的長く保ったほうだ。
その次は、自転車を盗られた。
映画館に行っていて、みんなが自転車を停めている場所に停めておいた。
行政は「放置自転車」とよぶ。
「違法駐輪」ではあるが、「放置」などしていない。
夜なので、こんな時間に撤去作業などしないだろう。
映画の後、戻ってきたら、ない。
他の自転車はあるのに、わたしのはない。
盗られたのだろう。
鍵はかけてあった。
だが、もしかしたら、「かけたつもり」だったのかもしれない。
ちゃんと鍵がかかっているか、目で確認はしていなかった。
注意力が散漫になっているのかもしれない。
この前の携帯電話のときに警察署に行って紛失届やらを出したばかり。
そんなに警察署に行きたくもないし、ショックも大きくて、自転車の盗難届を出す気力もなかった。
それから1週間もしないうちに、今度は財布を失くした。
これは「失くした」と言っていいのか、「盗られた」と言っていいのか、わからない。
事情はこうだ。
平日の午後3時ごろ、大文字山で野糞をしようとした。
いつもなら、人通りが少ない所からさらに藪に入り、しかも万一 通行人があっても直接見られることのないような場所を選ぶ。
だが、その日は何故か魔がさして、大胆になった。
道のすぐ脇を選らんだのである。
その道は、休日には稀に人が通ることがある。
しかし、普通、誰も通らない。
ましてや平日、しかも午後の遅い時間帯。
野糞をしている5~10分の間に、そこを人が通るなんて、極めて低い確率だ。
で、リュックを下ろし、帽子を脱ぎ、ズボンとパンツを下ろし、しゃがみこんでいた。
リュックから尻拭き用の葉っぱと尻洗い用の水が入ったペットボトルを出して、地面に置いた。
ズボンの後ろポケットから財布も出しておく。
万一、糞の上に落ちたりしたら困るので、携帯電話と財布はポケットから出す。
最近のわたしは少食になったため、糞の出が悪くなった。
のんびりと携帯電話(←再発行された)をいじりながら糞が出るのを待っていると、通行人。
初老の男性が登ってきた。
もう、逃げようも隠れようもなかった。
向こうは暢気に
「こんにちは~」
なんて話しかけてくる。
こうなったら、こちらも腹を据えるしかなく、
「こんにちは~」
と答えた。
たぶん、向こうはわたしが何をしているのかも分からずに挨拶してきたのだろう。
後で気づいたようで、それ以上なにも言わずに通り過ぎていった。
もう、恥ずかしいったら、ありゃしない。
「穴があったら入りたい」とは、このことだ。
やはり、平日の午後だからと言って、油断してはいけなかったのである。
そのあたりの「甘さ」、自己管理のいい加減さが招いた災いだ、教訓にしよう。
…と思った矢先、二人目の通行人が現れたのである。
今度は下ってくる。
そんな、馬鹿な。
よりにもよって、こんな場所に、こんな時間に、通行人が連続するなんて。
しかし、さっきとは違い、上から来た人からは わたしは見えにくい位置にいる。
隠れる猶予が多少はあるのだ。
わたしは片手でズボンとパンツを押さえ、もう片方の手でリュックと帽子、携帯電話と葉っぱとペットボトルを持った。
その時、財布だけ持ち損ねた。
だが、これが「魔が差す」というのだろう、テンパってしまって財布を拾わなかったのである。
これ以上もたついたりしても、大きなアクションをしても、通行人に気づかれてしまう。
動作を最小限に…という思考が働いてしまった。
財布だけを地面に置き去りにして、猛スピードで藪の中へ隠れた。
今までの経験から、山では人はそんなに周囲の地面を見ていない。
歩いている道の上にあったら気がつくだろうが、数メートル脇の地面に財布があっても そんなに気がつくものではない。
わたしみたいにキノコを探す人間なら別だが。
それに、色づいた落葉が敷き詰められていて、そこに財布があっても、そんなに目立たないはずだ。
そう思って、財布を置き去りにしたのである。
財布については全く心配せずに、のんびりと野糞をたれた。
その途中、さっきの通行人の姿が見えた。
もうとっくに通り過ぎたと思っていた人が、
「えっ、まだそこにいたの?」
という場所にいて、ちょっと不思議に思った。
しかし、特にそれ以上、気にしなかった。
財布のことを忘れていたのである。
野糞が終わって、荷物をまとめて立ち上がる時になって初めて
「やばい、財布が置きっぱなしだったんだ!」
と焦った。
あわてて財布の場所に戻ったが、「ない」。
さっきの通行人が拾ったのは、間違いない。
この場所でもたついていたことも、すべて合点がいった。
その瞬間を見てはいないが、絶対に、確実に、断言できる。
人通りの少ない場所、少ない時間帯に、よりにもよって通る人がいて、めったなことでは目につかない財布を発見されてしまうとは…
不運×3だ。
さっきの通行人が下ってから何分くらい経過しているだろうか。
のんびりしていたので5分か、それ以上か。
あわてて後を追う。
下山路、または銀閣寺の門前通で追いつけるかもしれない。
だが、分からなかった。
銀閣寺下の交番に向かう。
財布を拾った人が届けるとしたら、ココだ。
もしかしたら、拾得物の手続きをしている最中に
「それ、わたしのです」
と飛び込めるかもしれない。
あるいは、わたしのほうが交番に先回りしていて、しばらく待っていたら届けにやって来てくれるかもしれない。
こういう時、ふだん大文字山のゴミ拾いという陰徳を積んでいる効果が現れるのだ。
しかし、どちらの期待も無駄だった。
ものすごい落胆である。
どうしてあの時、財布を拾わなかったのか。手の届く距離にあったのに。
どうしてあの時、財布に気がついて通行人に「それ、わたしのです」と声を上げなかったのか。
どうしてその後、即座に野糞を終えて後を追いかけなかったのか。
…すべて後の祭りである。
財布に入っていた現金は大金ではないが、金欠で節約生活をしていた わたしには痛い。
バスや電車の回数券も入っていた。
とくに京阪電車の回数券は平日用と休日用の2種類あり、買ったばかりだったので、痛い。
それらはまだ呉れてやってもいい。
問題はキャッシュカードとクレジットカードだ(この際、各種の会員カードはいいにしても)。
それでも、わたしはまだ楽観していた。
その交番でなくても、一両日中に警察に届けてくれるものと期待した。
山を歩いている人だから…というのもある。
現金や回数券はあきらめるが、キャッシュカード・クレジットカードは返ってくるだろう。
だから、それらの効力停止の手続きをしなかった。
(以前、紛失して利用停止・再発行の手続きをしたカードがすぐに見つかって、手続き損の経験がある)
警察からの「見つかりました」の連絡を今か今かと待ちわびていたが、1週間たっても音沙汰がない。
これはもう、あきらめるしかないようだ。
まずは3種類のカード会社に電話して、カードを止める。
わたしはこういう電話をするのに、とてつもない精神的ストレスを感じる。
なので、次から次へとテキパキはできない。
酒を飲んだり、一晩寝たりしながら、終える。
その後、銀行のキャッシュカードの手続きは銀行に直接赴いて。
これも煩瑣だった。
身分証明となる健康保険証も一緒に紛失しているから、パスポートしか身元を証明するものがない。
パスポートの記載は古い住所・電話番号で、それらの変更手続きやらも含み、忙しい最中には億劫だった。
クレジットカードは、最近は小額ならサインも暗証番号も不要なところがあり、そうしたところで使われている可能性がある。
が、カード会社に調べてもらったら、「不正使用の形跡なし」で、ひとまず安心した。
安心したのと同時に怒りがこみ上げてしまう。
「不正使用するつもりがないなら、警察に届けろよ!」
むしろ、カードを使用されていたほうが、「くそー」と思いながらも、納得はいく。
自分の馬鹿さを反省する授業料と思えるのに。
× × ×
一連の紛失・盗難劇は終わった。
いや、終わったかどうか分からないが、注意するようになった。
「動いたら何か失くす」という気がして家に引きこもりがちになった。
そうすると、ブログにコメント来ないことや貸した金が返ってこないことにイライラし、悶々とし、思いつめてしまい、また鬱病が復活しそうになる。
ドツボに嵌る前に鬱を吹き飛ばそうと、奈良に小旅行を試みる。
この旅行の最中も、何か大事なものは落とさないか、事故に合わないか、とビクビクしていた。
何とか大丈夫だった。
しかし、イレギュラーな仕事の開始時刻を間違えていて、10分ほど遅刻した。
やはり、自己管理がいい加減になっている証拠だ。
気が抜けているのである(それまでの緊張ぶりから開放された反動だ)。
× × ×
さて、災難ばかり続いているように思える。
しかし、8月下旬の大きな災難は、結果的に自分の望んでいた方向の序曲となった。
「災い転じて福となす」
「人間万事、塞翁が馬」
いま連続している紛失・盗難の連続も、その次に素晴らしい幸運へと導くものではないか?
あるいは、本当なら生命や健康を損なう大災害がふりかかるべきところ、
「この程度で済んでいる」
のかもしれない。
そう思うようにしている。
これまでの人生、いろいろあったが、乗り越えられない困難はなかった。
現在の状況も。きっと一過性のものだ。
きっとうまくいく。
付録
タモリさんの「ぶらタモリ」への出演以来があった。
しかし、わたしの得意ではない鉱物関係の話だったので断った。
断ってから後悔している。
発想が後ろ向きだった。
せっかく来たチャンスを棒に振るとは。
これでは、駄目だね。
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