2015年の年末に京都文化博物館の「大丹後展」を見に行った。
目的はただ一つ、「青龍三年銘方格規矩四神鏡」を実見することである。
いわゆる「邪馬台国」(じつは「邪馬壱国」)問題に関係する鏡である。
この鏡がもつ意義を説明するには長い叙述が必要となる。
まず、『魏志倭人伝』には、女王卑弥呼が魏に朝貢し、魏の明帝から「親魏倭王」の称号と夥しい宝物を下賜されている。
その年は「景初二年」(238年)と書いてあるのだが、通常は(さしたる根拠もなしに)「景初三年」(239年)の誤りだとする。
卑弥呼が授与された宝物の中に「銅鏡百枚」がある。
多くの考古学者は、この銅鏡を「三角縁神獣鏡」に当てる。
「三角縁神獣鏡」は日本各地から数百枚も出土している。
その「三角縁神獣鏡」の中に「景初三年」の紀年銘をもつものがあるのである。
また、「景初三年」の翌年の「正始元年」の紀年銘をもつものもある(ただし、「正」は欠けていて判読不能)。
これこそ「三角縁神獣鏡」が魏の鏡である証拠とされた。
そして、それが近畿地方に多いことから、「邪馬台国=畿内」説の有力な根拠とされた。
卑弥呼は同鏡を全国の配下に配布したというわけである。
これには諸々の問題点がある。
①本当に「景初二年」は「景初三年」の誤りなのか?
②「三角縁神獣鏡」は日本からは既に500面以上が出土しているのに、本場のはずの中国からは1面も出土していない。本当に中国の鏡なのか?
③「景初三年」は3世紀前半であり、いまだ弥生時代である。しかし、「三角縁神獣鏡」は古墳時代の古墳からしか出土しない。本当に3世紀の鏡なのか?
…などなどである。
これらの理由(および他の理由も含めて)から「三角縁神獣鏡=国産」説が提起された。
これについて考古学者は、
②に対しては中国(魏)が日本のために日本人好みの鏡を特別に鋳造したのだ(特鋳説)、
③に対しては弥生時代には墓に埋葬せず、地上で伝え、古墳時代(4世紀以降)になってから埋葬し始めたのだ(伝世理論)、
と答え、中国鏡・魏鏡説を固持してきた。
(③については、同時に、古墳時代開始の年代を3世紀半ばまで引き上げる努力もなされている)
そこに衝撃を与えたのが、「景初四年」の銘をもつ鏡の出土である。
「景初」は「三年」で「正始」に改元した。
「景初四年」は存在しないはずなのである。
さらに、追い討ちをかけたのが、今回の主人公「青龍三年」鏡である(これは三角縁神獣鏡ではなく、方格規矩四神鏡)。
「青龍三年」は魏の年号で、西暦235年に当たる。
しかし、卑弥呼が朝貢する238年or239年よりも前なのである。
卑弥呼が「銅鏡百枚」を下賜された時、数年前に製作された鏡が入れられたのか?
それが許されるなら、三角縁神獣鏡を特鋳しなくてもよかったのではないか?
(まさか、鏡の在庫を掻き集めても100枚用意できなかった、というわけでもあるまい)
魏の年号があるから卑弥呼・邪馬台国と関係する、と言えるのかどうか、怪しくなってきたのだ。
そうなると「景初三年」の鏡も、三角縁神獣鏡全体も…ということになってくる。
三角縁神獣鏡が卑弥呼がもらった鏡でないとすると、弥生遺跡から出土している前漢鏡・後漢鏡がそれにとって代わることになる。
「前漢鏡・後漢鏡」というのは、いろんな形式の鏡の総称だ。
故:佐原真氏は、中国王朝が周辺国に下賜する場合、そんなに多種多様なものを掻き集めてきて揃えたりしない、単一・一様なものを与えるのだ(だから「銅鏡百枚」と言ったときに多種多様な前漢鏡・後漢鏡などではない)みたいなことを発言していた。
しかし、それなら、三角縁神獣鏡ではない「青龍三年」鏡はどうなるのだろうか?
(三角縁神獣鏡も、実際には様々なパターンがあって、決して単一の形式ではない。だから、そもそも佐原発言はズルイのだが…)
「青龍三年」鏡は、まったく同じものが京都府京丹後市と大阪府高槻市から出土している(もう1面、出土地不明のものがあるというが、未詳)。
先の理屈からすると、畿内→丹後へと鏡が伝播したとなろう。
だが、丹後というのは、当時は中国大陸・朝鮮半島に面した文化の玄関口だった。
卑弥呼・邪馬台国とは別にこの鏡を入手して、丹後→畿内(大阪府高槻市)へと伝播した可能性も高いだろう。
そういう関心をもって、「青龍三年」鏡を見に行った。
この鏡は「方格規矩四神鏡」という名である。
中央に四角の囲みがある。これが「方格」。
方格や周縁から出ている「T」「L」「V」形の文様が「規矩」(大工道具のコンパスと曲尺)に見立てられている(TLV鏡とも呼んだ)。
そして、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が配されている。
この「方格規矩四神鏡」は、「三角縁神獣鏡」とは異なり、中国からも多数出土している。
また、やはり「三角縁神獣鏡」とは異なり、弥生時代の遺跡から多く出土し、九州に多い。
実際に見てみると、錆や磨耗のせいで鮮明には見えなかった。
しかし、じっくりと観察できた。
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