夜は寒かった。
ダウンジャケットを着て、ダウンの寝袋に入っていたら、今までは平気だったのに。
自分が寒さに弱くなったのか、寝袋カバーをしなかったせいか。
今日は大晦日。
なので、朝食は年越し蕎麦とする。
持ってきた蕎麦(乾麺)と昨日採ったナメコをゆがき、だしでつゆを作り、具をいろいろ入れる。
在庫処分のつもりで家から食料を持ってきたが、食べきれずに持って帰ることになった。
最近は少食になったので、食料計画が楽になった。
食料が少なくても不安にならない。
「味の濃淡を問わず、品の多少をえらばじ」の精神なので、なんでも「有る物」で満足できてしまう。
ただ、食べ切れなかったということは、その重量を担いで登り返さなくてはならないので、それがネックである。
腹は満ちているが、荷物を軽くするために、御飯と味噌汁も食べるか~とも思ったが、やはり無駄食いは止めておくことにした。
いつもは焚き火の痕跡を消すために、燃え残った木は川に投げ入れる。
今回はほとんど燃え残りがなく、完璧な焚き火となった。
ほんの僅かな燃え残りがあったが、『デルスウ・ウザーラ』の中でデルスウ・ウザーラ(沿海州の狩人)が「川に燃え残りを入れてはいけない」と言っていたので、やらないことにした。
9時を回ると谷に日が射してきた。
『風土』は半分くらい読めていないが、ぜんぶ燃やす。
残りは家にある本で読む。
酒・ウイスキー・ビールがなくなり、『風土』「ゴルゴ13」がなくなり、2日分の食料が減り、かなり軽くはなった。
いざ、出発。
いい感じに歩いて行く。
冬の芦生がこんなに美しいとは知らなかった。
川の水量も夏より多く、流れに見応えがあった。
倒木に小さなシイタケを見つけて採る。
灰野の手前の神社で、夫婦らしき二人が掃除されていた。
もう明日は新年なんだなぁ。
さて、灰野から佐々里峠までの登りが、長く苦しい。
いつもは夕方17時頃の広河原発のバスに間に合うために、焦り気味で歩くから余計にしんどい。
今日は時間的に余裕があるので、ゆっくりと歩くことにする。
14時台に1便あるはずだが、間に合わなければ17時台の便でもいい。
延々と続く登り道。
ザックは軽くなったとは言え、垂直方向に歩き始めると重さが応える。
標高があがると、地面に雪が現れ、やがて積雪5~10センチになる。
登りは苦しいが、空が明るいので気持ちがいい。
途中で、数箇所、ナメコが出ていた。
うち2箇所は採りやすい高さだったので、お土産にする。
大段谷山への分岐、小野村割岳への分岐を経て、佐々里峠へ。
小野村割岳への分岐以降は、足跡があった。
13時05分、佐々里峠。
石室で休む。
腹が減った。
米とキノコと蕎麦つゆの残りで炊込御飯を作ろうかと思った。
そうすると、バスは14時台のは無理になるだろう。
止めておく。
正月前だからか、お地蔵さんにお供えがある。
「一本満足バー」があったので、よくお参りしてから頂戴する。
めっちゃ、うまい。
車道を歩いて広河原へ。
途中、2頭のイノシシを見た。
14時前、広河原に着。
バスは14時20分発。
『デルスウ・ウザーラ』を読んで待っていたら、雨が降ってきた。
雨宿りしなきゃと思った時、運転手さんが出てきて、バスの中で発車を待つことができた。
いやはや、予定よりも歩くことになったが、いろんな場面を経験できた。
鞍馬~八桝の車道の徒歩、小野村割岳への積雪のきらめく林道、カヅラ谷への尾根の冒険的な下降、カヅラ谷から本流への困難な下降、本流沿いの快適なトロッコ道、灰野から佐々里峠への苦しいが美しい登り…
そして、二晩の寒いキャンプ、充実した焚き火、酒、読書…
じつに楽しく、満足できた山行だった。
よい年を迎えられそうだ。
ただ一つ、「広河原」バス停近くの喫茶「庄兵衛」のママに、今回も会えなかったのが心残り。(笑)
【追記】
帰宅後、『風土』の残りを読む。
読み終わった時には日付が変わっていた。
しかし、就寝して起床するまでは、まだ「前日の連続」ということで、わたしのルールでは越年していない。
夜更けに『デルスウ・ウザーラ』の残りの数章を読むが、睡魔に負けて居眠りしてしまう。
「居眠り」は「就寝」ではない。
うとうとしながら、3時半頃に読了した。
0 件のコメント:
コメントを投稿