12月30日。
昨夜、眠ったのが、おそらく7時頃。
夜中に目が覚めて時計を見たら、1時20分。
ふだん5~6時間の睡眠だから、これくらいに起きて当然だ。
ふだんなら午前1時20分なら、まだ就寝していない時刻だ。
それが笑えた。
眠くなるまで『風土』を読む。
納得がいくことが書いてあるが、こんな事は、わたしなら中学生くらいの時に考えていたようなことだ。
読んだページからどんどん破っていく。
寝たのは、たぶん3時くらい。
夜は寒かった。
目が覚めたら、外は明るくなっていた。
湯を沸かしてカップスープを飲み、昨夜の残り飯と味噌汁で朝食。
野糞をして「ゴルゴ13」で尻を拭き、その「ゴルゴ13」を燃やす。
時刻を知るには携帯を見なければならないが、バッテリーの消耗を防ぐため電源OFFにしてある。
起動するとバッテリーを食うから、なるべく時刻も見ず写真も撮らないようにしている。
たぶん、9時半ごろ出発。
林道を登り、小野村割岳のほうに向かっていく。
途中から積雪1センチ、やがて5センチくらいになる。
この林道、比較的最近に歩いた気がするのだが、いつだったか思い出せない。
林道の終点から谷に入り、小野村割岳への取り付きへ。
ここの谷が合流しているあたりは、わたしのお気に入りだ。
約20分で頂上へ。
雪化粧した山々が美しい。
さて、ここから芦生側へ下るのであるが…
じつは地図を忘れてきた。
細かな地形がわからない。
積雪期には山の登り降りに尾根を伝うのが原則である。
谷に入り込むと、岩と岩の間に積雪があったりして踏み抜いたりすると危険である。
逆に、尾根は木々の葉は落ちていて余計な灌木も枯れていて、見通しがよく歩きやすい。
…なのだが、どこにどんな尾根があるのか不明だ。
小野村割岳から西へ向かっていけば、由良川本流(トロッコ道)にダイレクトに降りられる尾根があるのは分かっているが、そちら方向には行きたくない。
で、小野村割岳から南東方向へ行く。
天狗岳まで行ったら七瀬に下りる尾根があるのも分かっているが、少し遠い。
というわけで、20~30分歩いて、適当な尾根を下る。
道はないが、獣道らしき通路はかろうじてある。
雪をかぶった木の脇を通ったり木をくぐったりしているうちに、上から下まで濡れてしまった。
尾根の突端に近づき、川が合流しているのが見える。
最後は急な下り。
由良川本流に下りたかったが、支流の途中に出た。
たぶん12時半くらい。
深閑とした雪化粧の森に日が射して、すばらしい景色だった。
おそらくカヅラ谷の源流部にいるはずだ。
よりにもよって、本流からもっとも遠い地点に下りてしまったようだ。
ここから本流までの下降が大変だった。
カヅラ谷ははるか昔、遡行したことがあるが、ほとんど記憶にない。
小規模な滝や滑が現れて、雪と雨で岩が濡れているこの時期には、川沿いは通過できない。
高く「巻く」ことになるが、それも一苦労だ。
動物の踏み跡があって導いてくれるが、
「そんなに遠回りはしていられないよ」
と自分でルートを開拓する。
しかし、行き詰ってしまって、結局、動物の教えに従うことになる。
「あそこを廻ったら、本流に出るだろう」と思って進むも、いつまでたっても本流は現れない。
バテ始めてきた。
とある場所で、沢にかかった流木にキノコが目に入った。
ウスヒラタケじゃないか?
近づいてみると、そうだった。
足を滑らさないように接近して採りやすい地点に回りこむ。
携帯を落とさないように細心の注意を払って撮影する。
味噌汁の具にできるぞ。
ウスヒラタケを見つけて、疲れが飛んだ。
さらに下降していく。
「時期遅れのナメコがないかな~」
なんて思って下っていくと、15分後、栃の木にナメコが!
なんとか登って採れそうだ。
木に登るとナメコは見えないが、適当に何枚か採った。
服部文祥氏が「サバイバル登山」というのに基本的に共感してはいるが、「鉄砲」は服部氏自身が否定しているはずの「文明の利器」だ。
この点の矛盾について服部氏は説明不足だ。
で、わたしとしては「ベジタリアン版サバイバル登山」をやってみたいと思っている。
ウスヒラタケとナメコが収穫できて、自信が出てきた。
それでもやっぱり疲れてきた。
何度も沢を渡らねばならず、また沢の脇をへつって行かなければならない。
足を滑らさないように慎重を期していると、緊張の連続で精神が疲れてくる。
だんだん谷が広くなって、もう出会いは近いはずだ。
…と焦ると滑ってしまいかねないので、気をつける。
やっと、本流のトロッコ道だ。14時13分。
本流を見ると感激する。
心配していた積雪もない。
思い起こしてみれば、この12月末という時期に芦生に来たのは初めてではないか。
ラーメンをつくる。ウスヒラタケを入れた。
芦生に来ると、いつも喜びと哀しみの混じった複雑な感慨をもよおす。
子供~高校生くらいまでの父との渓流釣り、家族でのハイキング、大学生以降の単独での入山、あるいは友人・恋人との入山…さまざまな思い出がぎっしり詰まっている。
その思い出に懐かしさを覚え、変わらぬ自然の営みに感興をもよおす。
その一方で、二度と帰ってこない過ぎ去った「時」と無駄に歳だけとってしまった「自分」とを実感し、切なさで胸がいっぱいになる。
とくに父との思い出がもっとも強く胸を締めつける。
父が死んで、遺言どおり芦生に骨を撒き、父は川になった。
あんなに嫌っていて「人間のクズ」呼ばわりまでしていた父が、芦生に来るとたまらなく恋しい。
父に向かって大声で
「お父さ~ん、来たよ~、元気か~」
と叫ぶ。
ここ最近は、こうやって叫ぶと、すぐ近くに人がいたりしてバツが悪くなるのだが、今回はどこにも誰一人いない。
完全にわたし一人の芦生のようだ。
結構歩いたので、もうこの場所でキャンプしようと思った。
テント場も決めた。
しかし、焚き火をするのに木がない。
多くの人が立ち寄る場所なので燃やされ尽くしているのか。
それに、小屋跡に缶や瓶が散乱していて気分が悪い。
もう少しだけ歩いて場所を探すことにした。
キャンプ適地はあるか、薪は豊富か、くつろげるか、トロッコ道から下りやすいか、を念頭に下流へ歩いていく。
フタゴ谷の出会いで、ちょうど良い場所があった。
ここらあたりは、いつもトロッコ道を歩いているので、川原に下り立ったのは子供の時以来だろう。
なかなか美しい場所だ。
薪と杉葉を集める。
薪は少々濡れていても、杉葉がよく燃えてくれれば燃やせる。
昨夜の失敗を繰り返さないように、できるだけ湿っていない杉葉をたくさん集める。
『風土』の読んだページを破って、着火する。
何度か失敗したが、まもなく安定した火になった。
飯を食う。
焚き火をしながら日本酒とウイスキーをあおり、濡れた服や靴下を乾かす。
12月末のこの時期に、靴下を脱いで裸足になっているのが、自分でも驚く。
寒いせいか、いくら飲んでも酔いが回らない。
テントの中で寝袋に入って本を読みながら飲めば眠くなるだろうが、久しぶりの焚き火に存分にあたっておきたい。
およそ3年ぶりの焚き火なのである。
「こんなに燃やせるのか?」というくらい薪を用意したが、それもほぼ終わり。
このまま置いておけば全て燃え尽きるだろう、というところまで燃やしたので、そろそろ眠ることにする。
10時くらいだった。
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