2016年2月17日水曜日

下呂温泉に行った(中編)

朝遅く、ホテルを出る。
町の地図も何もない。
ホテルには観光案内の地図があったのかもしれないが、目につかなかった。

坂を下ると、目抜き通りの角に神社があった。

コンクリートの建物の中に建てられていて、とても新しそうで、まったく興味がわかない。
神社の名前すら確認しようと思わなかった。(後に「下呂温泉神社」と知る)


川に出る。
下呂温泉の写真や映像でよく見るアングルだ。



橋の上に林羅山の像があった。
林羅山というのは、徳川家康をはじめとする歴代将軍に仕えた儒学者である。(元は京都建仁寺の僧)

歴史が専門なので、林羅山と下呂温泉の関係には関心がわく。

像の下の説明によると、羅山が詩文集に
「我国諸州、多く温泉有り。其の最も著しきは、摂津の有馬、下野の草津、飛騨の湯嶋、是れ三処なり」(原漢文)
と書き、これで「天下三名泉」として著名になった、というのだ。
(下呂温泉はかつては湯嶋温泉とよばれていた)
(なお、草津の「下野」は「上野」の誤りである。<後述>)


え? それだけ? ただそれだけのつながり?
羅山が下呂温泉を訪れて、何か言ったとか、何か書き残したとか、ないの?


しょぼい。
しょぼすぎる。


しかも、羅山のまわりに猿が戯れているが…
きっと何かのエピソードがあるのだろうが、何の説明もない。


同じ橋の反対側には、万里集九の像。

日本史に詳しくても万万里集九を知っている人は少ないだろう。
かく言うわたしも、そんなに詳しく知っているわけではないが。
室町時代、応仁の乱前後の五山僧(相国寺僧)だということぐらいは知っている。


で、その万里集九と下呂温泉と何の関係があるのか?
何か関係があるのだろうが、説明がない。
自分で調べろ、ってか。



その隣には、チャップリンの像が。

チャップリンは1932年に来日したことがある。
おそらく、その際に下呂温泉も訪れたのだろう、と想像するが…
どこにも説明が書いていない。

なんなんだ、この町は。




ところで橋の欄干や柵などに、やたらと白鷺の意匠がこらしてある。

「白鷺の湯」という言葉もよく目にするし、土産物のお菓子にも「しらさぎ物語」というのがあった(けっこう美味しい)。
下呂温泉と白鷺に、何か関係がありそうなのだが、それも書いていない。

いや、どこかに書いてあるのだろうが、普通こういうのは、やたらとあちこちに書いてあって「もう、くどいよ!」と言いたくなるくらいのものなのだが。
ホテルでも、パンフレットもチラシも、何ももらえなかった。

ええ、携帯で検索して調べましたよ。
それで「白鷺伝説」を知りましたよ。
説明など書いてもらわなくても、携帯で調べたらわかる時代ですものね。





一つ上流の橋まで行って、そこから川に下りた。
上流方面。


下流方面



下流に向かって戻る。
ものの5分で林羅山像の橋に戻ってしまう。



ところで、昼御飯は「山びこ」という店で食べることを決めている。

開店まで30分以上あるので、もう少しぶらぶらする。




地図の看板を見つけ、「温泉街」のほうへ。(川沿いが温泉街の中心だと思っていたが、違ったのだ)



風情のある町並みかと思いきや、パチンコ店なんかもあったりして、やや興醒め。


「かえる神社」というのがあるらしいので行ってみる。
ここも新しい神社だ。

「駐車禁止」と書いてある敷地内に、ファンシーな車が停めてあり、「なんだかなぁ」という感じ


かえるの御本尊。

何か由緒があると思ってきたが、どうも洒落でつくられた神社のようだ。
それならそれでもよいが、どこかに「かくかくしかじかの経緯で作りました」と説明に書けよなぁ。


新しそうな神社だが、いつ建てられたのかも書いていない。

後でネットで調べたら、「下呂」の「ゲロ」という発音とカエルの鳴き声を掛けてあるらしい。
じゃあ、それを書けよ。



お賽銭を入れると、何やら「お告げ」が聞こえるらしい。

10円玉を入れたが、何も聞こえてこなかった。

詐欺だ。(「白さぎ」だけに・・・)


どうも、ここ下呂は「奈良」だという感じがしてきた。

案内不足、説明が不親切、不当表示、わかりづらく、ちぐはぐ・・・
わたしが奈良に行って感じること、それがそのまま下呂にも当てはまる。




温泉博物館というのに入った。

日本全国の温泉に関する説明は、なかなか充実していてよかった。
勉強になったし、示唆もうけた。
ここでやっと、先ほどの万里集九と下呂温泉との関係もここでわかった。


ところで、万里集九の詩文集『梅花無尽蔵』が下呂温泉について書いた最も古い文献だという。
そこには、
「本邦六十余州、州ごとに霊湯あり。その最たるは、下野の草津、津陽の有馬、飛州の湯島、三処なり」(原漢文)
とあるのだそうな。

えっ?
さっきの林羅山の文とそっくりではないか。

万里集九のほうが林羅山より150年ほど早い。
つまり、林羅山の文は、万里集九のパクリだったのだ。


しかも、ご丁寧に、「下野の草津」という間違いまで踏襲している。
万里集九が「下野の草津」としたのは「勘違い」または「書き間違い」だろう。
誰しもよくある「うっかりミス」で、罪はない。
だが、林羅山はそれをそのまま、何も考えないでコピペしているだけなのだ。

万里集九は実際に下呂温泉を訪れたらしい(2回)。
が、林羅山は来たのか? それさえも怪しい。
なんか、林羅山が最低な学者に思えてきた。

先ほどの林羅山像の下にある説明には、今日の下呂温泉の発展は、林羅山の詩文集「天下三名泉」のおかげと言えます、というようなことが書いてあった。
こんなコピペ学者にあやかってよいものか。
やれやれ。

(つづく

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