2016年2月18日木曜日

下呂温泉に行った(後編)

温泉博物館に入る時、券売機でチケットを買うのだが、普通の入場券だけでなく、足湯にも入れるセット券もあった。
足湯は館内にあるようだ。

もうひとつ、「クア・ガーデン(露天風呂)」とセットになっている券もある。
たしか800円だった。(入場券オンリーだと、たしか400円)

もともと外湯に入るつもりでいたし、露天風呂なら尚のことよいので、「クア・ガーデン(露天風呂)」とのセット券を買う。


ところが、足湯のほうは博物館内にあるから露天風呂も博物館に併設されているのかと思いきや、どこにもその案内がない。
ぜんぜん別の場所にあるようだ。


では、どこなのか?
それがまた、どこにも書いていない。

はいはい、わかりました、自分でGPSで探しますよ。
携帯の地図アプリで検索して、その方向に歩いていく。


ところで、温泉街の中心からやや外れると、けっこう情緒のある町並みになってくる。

惜しむらくは、この下呂温泉は温泉街の中でも車通りが結構あり、浴衣姿でぶらぶら散策…という雰囲気ではないところだ。



さて、地図アプリが示す「クア・ガーデン」の場所に来た。

しかし、「クア・ガーデン」という名前はどこにも書いていない。
ただ、「露天温泉」とは幟がある。
場所はここで間違いなさそうだ。
だが、建物なし。入口もわからない。
目の前の建物にはレストランがあるだけだ。


うろうろ探した。
あっちを見て、こっちを見て…探していると、車が次から次へと走ってきて危ないのだ。


どう考えてもおかしいので、そのレストランで尋ねようと、レストランの扉の前まで行くと、
「クア・ガーデンは反対側の階段を下りたところです」
みたいなことを書いた表示がしてあった。
道から見える所に書いておけ!



無粋な鉄筋の階段を1階まで下りていく。
傾斜地に建てられているので、入ったところが4階で…のようになっているのだ。

で、露天風呂に入る。
露天風呂は、とてもよかった。
木の箱の中に座って入る蒸し風呂がよかった。


さて、後は土産物を買って、昼食とって、帰るだけ。


温泉街を歩いていくと、道の曲がり角に洋館風の建物があり、そこが「白鷺乃湯」。

中で入浴もできるようだが、外の足湯に観光客が座っていた。
その脇に、「日本三名泉発祥之地」との碑。


どうも、ここが町の中心的なポイントらしい。
「白鷺伝説」についても、ここに説明してあった。(いや、ここの手前の碑だったかな?)
どうやら、ふつうの観光客は、とくに案内されなくても、自然とこのあたりを初めに訪れるかのようだ。
そして、「白鷺伝説」など下呂温泉に関する概要を、ここで知る。

しかし、わたしは何故か、いつも「普通の人」とは逆ばかり廻ってしまう。
それが宿命なのだ。
だから、「わからない」「どうなっているんだ」とブツブツ言いながら観光して、最後の最後にやっと「普通の人」のスタート地点にたどり着く破目になってしまう。



山のほうに温泉寺という寺があり、眺望が良いらしいが、なんかもう面倒になって行くのを止めた。
どうせまた迷うだけだろう。



江戸時代の高札場。


土産物を買いに酒屋へ行く。
地酒を買うことに決めていた。

間の悪いことに、大学生たちの集団に一歩遅れて入店することになってしまった。
店では試飲ができるのだが、7~8名の大学生が2種類の酒を、ごちゃごちゃ言いながら試飲し終わるまで、こっちの対応はしてもらえない。
待たされる。


大学生のうち買い物をしたのは2~3名。それも試飲したのと無関係のワンカップなど。
わたしは地酒を2本と地ビールを買うつもりだった。
こっちのほうが上客なんだから、こっちのほうに対応して~(涙)





さて、昼ごはんは「山びこ」へ。

ところが、満席で、順番待ちをしている客も多い。
店の中にすら入れない。
外のベンチで待つ。

下呂温泉に来たのは、この「山びこ」自体がひとつの目的だったのだ。
知人に「きのこがいっぱい」だと教えられたからだ。

なので、どれだけ待たされようと、ここで食べないわけにはいかない。
しかし、こんな人気店とは知らなかった。


長々と待ち、やっと店内で待てるようになる。


わたしの後からも列ができる。


やっと客が掃けてきてテーブルに案内される。

知人からは「きのこ蕎麦」を勧められていたのだが、秋だけの季節限定メニューだった。
この時期の季節限定メニューには「猪豚ナントカ」などがあるが、わたしは躊躇せず「自然薯定食」を注文する。(もちろん、ビールも)


店内奥に、きのこ木彫の展示がしてある。



ちゃんと現実のきのこを忠実に作ったものだ。


じっくり見たいが、店の中がバタバタしているので、あんまり立ち歩くのもどうかと。

やや緩和したとは言え、まだ満員状態。
先ほどの酒屋以来、待たされてばかり。
この時間があれば、温泉寺に行けたなぁ…などと考える。


やがて、自然薯定食が。

おいしい。
自然の素材を使った…という感じで、とても気分がいい。


食べ終わった後、きのこの木彫を。

きのこの話を店の人と話したり、この木彫師さんについてお聴きしたりしたかったのだが、忙しそうにされているので、断念。



そろそろ帰り。
橋を渡って、駅のほうへ。(振り返る)

「山びこ」の「きのこ蕎麦」は、食べてみたいなぁ。
温泉寺も気になる。


しかし、正直言って、下呂温泉にはもう来たくない。



(おわり)









追記
ぶつぶつと文句ばかり書いたが、書き終わってから、「もしかしたら、案内不足なのは、客がガイドブックを持っているのが前提なのか?」と気づいた。
そうなのだ、ガイドブックというものの存在を、すっかり忘れていた。

2016年2月17日水曜日

下呂温泉に行った(中編)

朝遅く、ホテルを出る。
町の地図も何もない。
ホテルには観光案内の地図があったのかもしれないが、目につかなかった。

坂を下ると、目抜き通りの角に神社があった。

コンクリートの建物の中に建てられていて、とても新しそうで、まったく興味がわかない。
神社の名前すら確認しようと思わなかった。(後に「下呂温泉神社」と知る)


川に出る。
下呂温泉の写真や映像でよく見るアングルだ。



橋の上に林羅山の像があった。
林羅山というのは、徳川家康をはじめとする歴代将軍に仕えた儒学者である。(元は京都建仁寺の僧)

歴史が専門なので、林羅山と下呂温泉の関係には関心がわく。

像の下の説明によると、羅山が詩文集に
「我国諸州、多く温泉有り。其の最も著しきは、摂津の有馬、下野の草津、飛騨の湯嶋、是れ三処なり」(原漢文)
と書き、これで「天下三名泉」として著名になった、というのだ。
(下呂温泉はかつては湯嶋温泉とよばれていた)
(なお、草津の「下野」は「上野」の誤りである。<後述>)


え? それだけ? ただそれだけのつながり?
羅山が下呂温泉を訪れて、何か言ったとか、何か書き残したとか、ないの?


しょぼい。
しょぼすぎる。


しかも、羅山のまわりに猿が戯れているが…
きっと何かのエピソードがあるのだろうが、何の説明もない。


同じ橋の反対側には、万里集九の像。

日本史に詳しくても万万里集九を知っている人は少ないだろう。
かく言うわたしも、そんなに詳しく知っているわけではないが。
室町時代、応仁の乱前後の五山僧(相国寺僧)だということぐらいは知っている。


で、その万里集九と下呂温泉と何の関係があるのか?
何か関係があるのだろうが、説明がない。
自分で調べろ、ってか。



その隣には、チャップリンの像が。

チャップリンは1932年に来日したことがある。
おそらく、その際に下呂温泉も訪れたのだろう、と想像するが…
どこにも説明が書いていない。

なんなんだ、この町は。




ところで橋の欄干や柵などに、やたらと白鷺の意匠がこらしてある。

「白鷺の湯」という言葉もよく目にするし、土産物のお菓子にも「しらさぎ物語」というのがあった(けっこう美味しい)。
下呂温泉と白鷺に、何か関係がありそうなのだが、それも書いていない。

いや、どこかに書いてあるのだろうが、普通こういうのは、やたらとあちこちに書いてあって「もう、くどいよ!」と言いたくなるくらいのものなのだが。
ホテルでも、パンフレットもチラシも、何ももらえなかった。

ええ、携帯で検索して調べましたよ。
それで「白鷺伝説」を知りましたよ。
説明など書いてもらわなくても、携帯で調べたらわかる時代ですものね。





一つ上流の橋まで行って、そこから川に下りた。
上流方面。


下流方面



下流に向かって戻る。
ものの5分で林羅山像の橋に戻ってしまう。



ところで、昼御飯は「山びこ」という店で食べることを決めている。

開店まで30分以上あるので、もう少しぶらぶらする。




地図の看板を見つけ、「温泉街」のほうへ。(川沿いが温泉街の中心だと思っていたが、違ったのだ)



風情のある町並みかと思いきや、パチンコ店なんかもあったりして、やや興醒め。


「かえる神社」というのがあるらしいので行ってみる。
ここも新しい神社だ。

「駐車禁止」と書いてある敷地内に、ファンシーな車が停めてあり、「なんだかなぁ」という感じ


かえるの御本尊。

何か由緒があると思ってきたが、どうも洒落でつくられた神社のようだ。
それならそれでもよいが、どこかに「かくかくしかじかの経緯で作りました」と説明に書けよなぁ。


新しそうな神社だが、いつ建てられたのかも書いていない。

後でネットで調べたら、「下呂」の「ゲロ」という発音とカエルの鳴き声を掛けてあるらしい。
じゃあ、それを書けよ。



お賽銭を入れると、何やら「お告げ」が聞こえるらしい。

10円玉を入れたが、何も聞こえてこなかった。

詐欺だ。(「白さぎ」だけに・・・)


どうも、ここ下呂は「奈良」だという感じがしてきた。

案内不足、説明が不親切、不当表示、わかりづらく、ちぐはぐ・・・
わたしが奈良に行って感じること、それがそのまま下呂にも当てはまる。




温泉博物館というのに入った。

日本全国の温泉に関する説明は、なかなか充実していてよかった。
勉強になったし、示唆もうけた。
ここでやっと、先ほどの万里集九と下呂温泉との関係もここでわかった。


ところで、万里集九の詩文集『梅花無尽蔵』が下呂温泉について書いた最も古い文献だという。
そこには、
「本邦六十余州、州ごとに霊湯あり。その最たるは、下野の草津、津陽の有馬、飛州の湯島、三処なり」(原漢文)
とあるのだそうな。

えっ?
さっきの林羅山の文とそっくりではないか。

万里集九のほうが林羅山より150年ほど早い。
つまり、林羅山の文は、万里集九のパクリだったのだ。


しかも、ご丁寧に、「下野の草津」という間違いまで踏襲している。
万里集九が「下野の草津」としたのは「勘違い」または「書き間違い」だろう。
誰しもよくある「うっかりミス」で、罪はない。
だが、林羅山はそれをそのまま、何も考えないでコピペしているだけなのだ。

万里集九は実際に下呂温泉を訪れたらしい(2回)。
が、林羅山は来たのか? それさえも怪しい。
なんか、林羅山が最低な学者に思えてきた。

先ほどの林羅山像の下にある説明には、今日の下呂温泉の発展は、林羅山の詩文集「天下三名泉」のおかげと言えます、というようなことが書いてあった。
こんなコピペ学者にあやかってよいものか。
やれやれ。

(つづく

2016年2月15日月曜日

下呂温泉に行った(前編)

2月上旬は、関西の私大入試が実施され、わたしも連日、その分析と報告に追われていた。
夜に入試問題が送られてきて深夜まで分析し、ある書類は朝イチで、また別の書類は夕方までにメールで送らなければならない。
その間、メンバーとメールで意見交換とチェックをおこなう。
午後に一段落し、酒を飲んで一息つくが、まもなく次の問題が送られてくる・・・


その合間をぬって大文字山に行ったりするが、遠くに出かけることができない。
メールが使える通信環境にいなければならないのと、不明点があった時に調べられる教科書・事典・資料集・専門書の類が手元にある場所にいなければならない。


2月5日は名古屋に出張で、新幹線で報告書を仕上げ、名古屋の会議途中にメールでやりとりし…と忙しかった。
しかし、その日の夜だけは、業務から解放されている。
ずっと働き尽くめだった頭と身体と心を休める機会はここしかない。


名古屋での会議が終わった後、その足で岐阜県の下呂温泉に向かった。
会議があと10分はやく終わっていたら間に合ったはずの特急に乗れず、下呂に着いたのは20時半すぎ。
ホテルに着いたのは、15分後。
部屋でくつろげる体勢になったのは21時ころだった。



あまり吟味せず、ネットで「小川屋」という宿を予約した。
予想以上に大きなホテルで、そこそこ老舗らしい。
部屋は和室。

ところが、トイレが流れない。水は出てくるが、水量が少なく水圧が低く、押し流す力がない。
しかも、洗面台の蛇口をひねったら、「ゴゴ、ゴ、ボッ、ボワッ」という音がして真茶色の水が出てきた。
この洗面台の水で、うがい・歯磨きはしたくないな。


増改築を繰り返したのだろう、構造が複雑で、ロビーや大浴場と部屋を行き来するのに、階段を上ったり下りたり、連絡通路を通ったり…
地震・火災でも起きた日には、避難に手間どったら怖い。


部屋で酒を飲みながら、書類の仕事を片付けた。



さて、観光は、翌朝だ。




(つづく)

2016年2月5日金曜日

堅田(滋賀県大津市)へ(後編)  散策とビール

大津市堅田の浮御堂(満月寺)に行った。
浮御堂そのものに興味があったのは当然だが、どこか原稿にとりくむことのできる場所を求めてきたのだ。


浮御堂から北方(湖西側)を望む。
比良山にも雪がかぶっているが、やはり今年は少な目だ。


それはそうと、湖岸の石垣にイタリアの国旗がたなびいている。
イタリア料理店があるのだ。
あそこに行ったら、さぞかし眺めがいいだろう。
原稿チェックにはもってこいの場所だ。
事前にネットであの店を見つけていたのだ。

その店は「ペコリーノ」。
行ってみると、満席。順番を待っている人もいる。
平日だし、13時半を過ぎていたので、あなどっていたが、かなりの人気店らしい。

そんなに時間を浪費するわけにもいかない。
残念だが、この店はあきらめて、駅前の普通の喫茶店にでも行くことにする。

…と言いながら、せっかく堅田に来たのだから、と周辺を散策することにする。
とくに、バス停の前の「湖族の郷資料館」には惹かれるので、立ち寄ってみる。


「湖族」とは初耳で、何のことかわからなかった。
はじめ、琵琶湖の魚介類の資料館かと思った。
ところが、どうやら、海の「海賊」に対する湖の「湖賊」がいて、それを字を改めて「湖族」と書いているらしい。(言われなきゃわからないが、そういう説明は目に入らなかった)

資料館の中には、この地の水運・漁業などに関するものが展示してあった。
つい先日、竹細工の映画を見たばかりなので、手仕事の民具に見入ってしまった。

資料館の人が、周辺の見所を教えてくれた。
その中に祥瑞寺があった。

祥瑞寺という寺の名前を聞いてもピンとこなかったが、一休宗純が修行した寺といえば思い出す。
水上勉の『一休』で読んだ。


周辺には寺社が多いが、すべてを回っている余裕はない。
しかし、祥瑞寺には行ってみる気になる。



「一休」という道号を得たのも、この寺にいた時だった。
湖族の郷資料館でもらったパンフには「反骨・風狂の禅僧一級誕生の寺」と書いてある。



とはいえ、境内に入って、とくに見るべきものもなし。
あえて言うなら、松尾芭蕉の句碑。

「朝茶飲む層静かなり菊の花」の句を詠んだのが、ここ祥瑞寺だった。
昨年末、芭蕉の句はすべて目を通したばかりだが、まったく記憶にない。(汗)

近くには都久夫須麻神社もある。
弁財天を祀っている。


そうこうしているうちに30分くらい経過した。
湖岸に下りられたので、下りてみる。
風は穏やかなのに、意外と波が激しい。




それにしても、やはり「ペコリーノ」に未練があり、もうそろそろ席が空いているかな?と思う。
原稿チェックが目的なので、席につけさえすればよい。
注文の品物が出てくるのは待たされてもいい。



行ってみると、席は空いていた。
中へ通される。
14時を少しまわっていたのでランチタイムは終わっている。
ビールを注文した。

客は、わたし以外は全員 女性。
平日の午後なので、男が少ないのはわかるが…それにしても…
女性たちの大半は主婦層。
女だけになった時の、彼女たちのおしゃべりが喧しい。
見た感じ、ほとんどの客の皿・カップは空になっている。
食事・喫茶が終わっても延々と話しこんでいるわけだ。
これでなかなか席が空かないのだ。



一番眺望のいい湖に面したカウンター席には座れなかった。
そのカウンター席に座っている主婦たちは、隣どうしで話し込んでいる。
つまり、全然、窓の外の景色を見ていないのだ。
眺望そっちのけで話し込んでいるヤツらに眺望のいい席を占領されている不条理。

しかし、わたし自身も、原稿チェックに集中しだしたら眺望そっちのけになってしまうだろうから、この点に関してはお互い様か。

眺望のいい店で、ビールで優雅にくつろぎながら仕事…と思っていたが、いやはや、女たち・主婦たちの活発な座談会のおかげで目論見は外れた。
耳栓をして仕事をした。
それなりに集中できた。

一区切りついたので、「もうそろそろ出ようか」と思った頃、窓際席の客が帰った。
店員が「よろしければ窓側に」とすすめてくれた。
せっかくなので、窓際で仕事を続行することにした。
2杯目のビールを注文する。

やかましい女たちがいない曜日や時間帯があるのだろうか。
そんな時に再訪してパスタとワインと眺望を楽しみたい。

原稿ははかどった。
『大文字山を食べる』の改訂増補版のゲラのチェックなのだった。
かなり手を入れた。

それなりに良い旅になった。

(おわり)